落合権之守と
十二支守本尊
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「刃の雉子」伝説にまつわる落合権之守の墓
天気の良い日は海まで見渡すことができ
近くには十二支守り本尊をお祀りしている
「刃の雉子」伝説にまつわる落合権之守の墓
天気の良い日は海まで見渡すことができ
近くには十二支守り本尊をお祀りしている
落合権之守
菊川市に多い
落合姓のご先祖
瀧之谷の北あたりを奥山といいます。
菊川市の北西部の一番端にあたり、五十メートル程の断崖になっていて、眼下に掛川市の「影森」から小夜の中山の「新田」に通じる東海道の前身の古道が見えます。
弘安年間(1278~1288)のこと、小夜の中山辺りに「刃の雉子(やいばのきじ)」という盗賊がいて旅のものを大変困らせ、ついには往来も絶えるという有様でした。この討伐に京の都から派遣された落合権之守(おちあいごんのかみ)でしたが、盗賊の勢力が強く退治できずにいました。
落合権之守は従者の進士清蔵とともに都に帰ることもできず、現在の菊川市富田に住んだと伝えられ、菊川の川に沿って分布している落合姓の祖といわれています。
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忠魂碑と
十二支守り本尊
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十二支守り本尊は自身の生まれた干支の仏・菩薩を、自分の一生の守り本尊とする信仰です。
子年生まれ ・・・ 観世音菩薩
丑・寅年生まれ ・・・ 虚空蔵菩薩
卯年生まれ ・・・ 文殊菩薩
辰・巳年生まれ ・・・ 普賢菩薩
午年生まれ ・・・ 勢至菩薩
未・申年生まれ ・・・ 大日如来
酉年生まれ ・・・ 不動明王
戌・亥年生まれ ・・・ 阿弥陀如来
明治四十五年(1912)に建立されたもので、その碑に「一代の 徳の種なり 守本尊」と詠じられています。
南から北に向かって子から亥の順にまつられています。
忠魂碑は日露戦争(1904~1905)で亡くなられた西方出身の六名が祀られています。大正二年(1913)に建立されました。
忠魂碑の文字は日本造船の父と呼ばれる赤松規良によるものです。
堀之内小学校開校時、地域の忠魂碑は学校敷地内に集められましたが、この碑は移転せずにこの地に残りました。